吉田秀和の世界 |
単行本一覧(工事中) |
表紙 | タイトル | 出版社 | 初版 |
主題と変奏 | 創元社 | 1953年 | |
音楽紀行 | 新潮社 | 1957年 | |
私の音楽室 | 新潮社 | 1961年 | |
批評草紙 | 音楽之友社 | 1965年 | |
続批評草紙 | 音楽之友社 | 1965年 | |
現代の演奏 | 新潮社 | 1967年 | |
今日の演奏と演奏家 | 音楽之友社 | 1970年 | |
ソロモンの歌 | 河出書房新社 | 1970年 | |
モーツアルト | 講談社 | 1970年 | |
ヨーロッパの響、ヨーロッパの姿 | 新潮社 | 1972年 | |
一枚のレコード | 中央公論社 | 1972年 | |
世界の指揮者 | ラジオ技術社 | 1973年 | |
レコードのモーツアルト | 中央公論社 | 1975年 | |
一本の木 | 大西書店 | 1975年 | |
現代音楽を考える | 新潮社 | 1975年 | |
世界のピアニスト | ラジオ技術社 | 1976年 | |
レコードと演奏 | 音楽之友社 | 1976年8月20日 | |
私の好きな曲* | 新潮社 | 1977年3月20日 | |
私の好きな曲** | 新潮社 | 1977年3月20日 | |
音楽展望1 | 講談社 | 1978年 | |
音楽の旅・絵の旅 | 中央公論社 | 1979年 | |
批評の小径 | 日本書籍 | 1979年 | |
音楽の光と翳 | 鎌倉書房 | 1980年 | |
響きと鏡 | 文藝春秋社 | 1980年 | |
音楽展望2 | 1981年9月18日 | ||
調和の幻想 | 中央公論社 | 1981年 | |
レコード音楽のたのしみ | 音楽之友社 | 1982年 | |
私の時間 | 海竜社 | 1982年 | |
モーツアルトを求めて | 白水社 | 1982年 | |
レコードの四季 | 音楽之友社 | 1983年 | |
トゥールーズ=ロートレック | 中央公論社 | 1983年 | |
音楽からきこえてくるもの | 音楽之友社 | 1984年4月20日 | |
ベートーヴェンを求めて | 白水社 | 1984年 | |
音楽展望3 | 講談社 | 1985年 | |
もう一つの時間 | 海竜社 | 1985年 | |
このレコードがいい*25選 | 新潮社 | 1985年 | |
セザンヌ物語T・U | 中央公論社 | 1986年 | |
このディスクがいい*25選 | 新潮社 | 1987年 | |
セザンヌは何を描いたか | 白水社 | 1988年 | |
二度目のニューヨーク | 読売新聞社 | 1989年 | |
音楽の時間*CD25選 | 音楽之友社 | 1989年 | |
新・音楽展望(1984-1990) | 朝日新聞社 | 1991年 | |
オペラ・ノート | 白水社 | 1991年8月19日 | |
このCD、このLD*25選 | 新潮社 | 1992年 | |
人生を深く愉しむために | 海竜社 | 1992年 | |
マネの肖像 | 白水社 | 1992年9月4日 | |
時の流れの中で 新カイエ・ド・クリティク |
読売新聞社 | 1994年7月14日 | |
文学のとき | 白水社 | 1994年 | |
新・音楽展望(1991-1993) | 朝日新聞社 | 1994年 | |
音楽のある場所 *CD・LD30選 |
新潮社 | 1995年6月25日 | |
音楽の二十世紀 *CD・LD30選 |
新潮社 | 1998年 | |
新・音楽展望(1994-1996) | 朝日新聞社 | 1998年 | |
物には決まったよさはなく | 読売新聞社 | 1999年 | |
くりかえし聴く、くりかえし読む 新・音楽展望1997-1999 |
朝日新聞社 | 2000年12月5日 | |
今月の一枚 *CD・LD36選 |
新潮社 | 2001年 | |
永遠の故郷−夜 | 集英社 | 2008年 | |
永遠の故郷−薄明 | 集英社 | 2009年 | |
之を楽しむに如かず | 2009年9月30日 | ||
永遠の故郷−真昼 | 集英社 | 2010年 | |
永遠の故郷−夕映 | 集英社 | 2011年 |
吉田秀和全集 |
タイトル | 目次 | 初版 | ||
1 | モーツァルト・ベートーヴェン | T モーツァルト−出現・成就・創造 モーツァルト−その障害・その音楽 手紙を通じてみるモーツァルト モーツァルトのコンチェルト U モーツァルトへの旅 モーツァルトの演奏をめぐって V 覚え書ベートーヴェン 第一部 第二部 W ベートーヴェン三題 |
1975年5月26日 (第4回配本1975年5月)3000円 |
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2 | 主題と変奏 | T 主題と変奏 ロベルト・シューマン シューマンのピアノ協奏曲をめぐって 古典の複雑と精妙について 音階の音楽家 セザール・フランクの勝利 ベーラ・バルトーク ショーペンハウアーのフリュート U 四人の作曲家 シューベルト シューマン ブラームス マーラー V 作品と解釈 シューベルトのピアノソナタ ブラームスの「第二ピアノ協奏曲」 ブラームスの室内楽について ブルックナーのシンフォニー |
1975年2月25日 (第1回配本1975年2月)2500円 |
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3 | 二十世紀の音楽 | T 現代音楽を考える まわり道をしたストラヴィンスキー ジョン・ケージの矛盾 ヴァレーズの解放したもの メシアンの美徳と悪徳 諸井誠の尺八の音楽 武満徹の音と間 シェーンベルク 純粋な抒情家アントン・ヴェーベルン 再び生きかえったアルバン・ベルク 近代音楽の終焉 悪い夢 音色の追求 図形音楽 「音楽の終焉」 批判の彼方にある現代音楽 U 二十世紀の音楽 演奏家を中心として 作曲家の側から 社会と公衆の側から V 武満徹と静謐の美学について 能と現代音楽 竹満の芸術は能からきたといえば当然 「フリュート、ギター、リュートのための環」 二十世紀音楽研究所にふれながら 新音楽への視野 近代的管理の欠如と現代日本の芸術について サイバネティックとチャンス・オペレーション 伝統的発想法と芸術 ストラヴィンスキーの人と音楽 ヘンツェ「第二ピアノ協奏曲」 松下真一「シンフォニア・サンガ」 高橋アキのピアノ 科学・技術時代と音楽 |
1975年10月25日 (第9回配本1975年10月)2500円 |
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4 | 現代の演奏 | T 現代の演奏 はじめに 意味深い演奏とは 音楽にこめる生命 名演奏家たち 音楽は国際語か オペラとリート 演奏家はすでにそこにいる U 現代演奏論 創作と演奏のあいだで 演奏の「質」について レコードと実演のあいだで |
1975年3月25日 (第2回配本1975年3月)2500円 |
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5 | 指揮者について | T 世界の指揮者 ヴァルター/セル/ライナー/サバタ/クリュイタンス クレンペラー/ベーム/バーンスタイン/ムラヴィンスキー/クナッパーツブッシュ トスカニーニ/ブッシュ/マゼール/モントゥ/ショルティ クラウス/ブレーズ/ミュンシュ/フルトヴェングラー/ジュリーニ バルビローリ/クーベリック、ターリッヒ、アンチェル ロジェストヴェンスキー、フリッチャイ、アバド/カラヤン U フルトヴェングラーのケース ヴァルターの残したもの バーンスタイン再説 ベームをめぐって 指揮者のピアノ−ジョージ・セル カール・リヒター バルビローリ再説 ブレーズについて一言 V ジュリアード弦楽四重奏団 マリナーと室内合奏団 シュトゥットガルト室内合奏団 W ヴァーグナー「ニーベルングの指輪」 モーツァルト「魔笛」 ヤナーチェク「利口な女狐」 R・シュトラウス「ばらの騎士」 X 創作オペラについて 日本でオペラがやれるか 日本人のオペラの可能性の一つについて イタリア・オペラをめぐって ヴィーン国立オペラ ベルリン・ドイツ・オペラ ヴィーラント・ヴァーグナーの死 ヴァーグナーと現代 |
1975年7月25日 (第6回配本1975年7月)2500円 |
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6 | ピアニストについて | T ピアニストについて ホフマンとソロモン/コルトー/バックハウス/ルービンスタイン/ケンプとゼルキン アラウ/ホロヴィッツ/ギレリス/ミケランジェリ/クリーン グルダ/ブレンデル/グールド/アシュケナージ/エッシェンバッハ ゲルバー/アルゲリッチ/ポリーニ/フレーレ/ピリス ルプー/ワッツ/クフェルク/ベロフ U 一枚のレコード |
1975年4月25日 (第3回配本1975年4月)2500円 |
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7 | 名曲三〇〇選 | T 私の音楽室 プロローグ グレゴリオ聖歌 セクエンティアとトロープス オルガヌムとモテット トゥルバドゥール、トゥルヴェール、その他 アヌス・ノーヴァとポリフォニー ネーデルランド学派からイタリア・ルネサンスへ イタリアとフランスのバロック バッハとヘンデル グルック、ハイドン、モーツァルト ベートーヴェン ロマン派の天才たち ドイツの後期ロマン派 ロマン的民族主義 ドビュッシーとその周辺 二十世紀の音楽 エピローグ U 音楽家の世界 V 「平均律クラヴィーア曲集」(第二巻) マーラー「第八交響曲」 レコード・オペラ・オーケストラ 弦の魅力 |
1975年9月25日 (第8回配本1975年9月)2500円 |
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8 | 音楽と旅 | T 街、雲、それから音楽 アメリカの音楽 ヨーロッパの街と音楽 U ドイツ通信 オペラの客と芝居の客 二人の女性ヴァイオリニスト ベルリンで聞いた日本の音楽家たち ザルツブルクの復活祭音楽祭 一批評家の死 プラハの春 夏のザルツブルク音楽祭 失われた時をめぐって チェーホフと現実 V ドナウエッシンゲン・一九五八 ヨーロッパの休日 交友の形−ヨーロッパで考えたこと レコードの憶い出 レコードの贈り物 |
1975年6月25日 (第5回配本1975年6月)2500円 |
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9 | 音楽展望 | T 音楽展望(1971〜1975) U 音楽会批評(1969〜1975) V 日本の演奏家 第一章 ピアニストについて 第二章 女流声楽家の典型 第三章 オペラ三代 第四章 合唱団の存在理由 第五章 室内楽の担い手たち 第六章 アラウの示唆するもの 第七章 成熟しない交響管弦楽団 第八章 過渡期の指揮者たち 補遺1 園田高弘 補遺2 江藤俊哉 補遺3 尾高尚忠 W 音楽批評について 批評再説 批評の精神 演奏会の運命 |
1975年8月25日 (第7回配本1975年6月)2500円 |
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10 | エセー | T マネ頌 アンリ・ローランス クレーの跡 絵画・運動・時間 クレーとベートーヴェン 一本の木 U 中原中也のこと 吉田一穂のこと 大岡昇平 小林秀雄 伊藤整 長谷川四郎 池田満寿夫 富永太郎 詩人の運命 荷風を読んで V 源氏の中の時 二重の眼 一冊の本 夏の読書 「空想の演奏会」は可能か 音楽と文学 翻訳のむずかしさ 幼時の読書 W ソロモンの歌 わが家の歴史 二つの声 私の「音楽学校」 音楽とわが青春 「ラインの乙女たちの歌」 X わが相撲記 国技館変貌 番付の擁護のために 大鵬引退の報をきいて、その場で・・・ Y ミニヨンの歌 青丹よし寧楽の都の 日本の面影 柱の庭で、眼は思考への変圧器となる 「古典」の効用について 日本の一世紀 宗達展をみて 歴史と創造 芸術の完結性と日本文化 伝統の継承 よくわからないこと Z 様式の雑居 Come woo me, woo me 劇団四季の芝居を見てきて 「セチュアンの善人を」をみて [ ある種の掃除 「本当の生活」への期待 母の死 大統領と冗談 書店雑感 わが妻 毎日歩かないと 日本は世界一 風流な手紙 「無心」ということ 警察のユーモア 薄気味の悪い話 鏡の前 鎌倉で好きなものは たった二人の映画館 May I Smoke ? 思うこと |
1975年11月25日 (第10回配本1975年11月)2700円 |
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11 | 私の好きな曲 | T 私の好きな曲 ベートーヴェン「弦楽四重奏曲嬰ハ短調」作品131 ベートーヴェン「ピアノ・ソナタハ短調」作品111 モーツァルト「クラリネット協奏曲」K622 シューベルト「ハ長調交響曲」D944 ストラヴィンスキー「春の祭典」 ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」 ドビュッシー「前奏曲集」 ヤナーチェク「利口な女狐の物語」 R.シュトラウス「ばらの騎士」 ブルックナー「第九交響曲」 J.S.バッハ「ロ短調ミサ曲」 ハイドン「弦楽四重奏曲」作品64の5 D.スカルラッティ「ソナタ」群 シューマン「はじめての緑」 ヴェーベルン「弦楽四重奏のための五つの楽章」作品5 フォレ「ピアノと弦のための五重奏曲第二番」 ドヴォルジャーク「交響曲第八番」 ショパン「マズルカ」作品59 ヴァーグナー「ジークフリート牧歌」 バルトーク「夜の音楽」 ヴォルフ「アナクレオンの墓」 ベートーヴェン「第九交響曲」 ベートーヴェン「弦楽四重奏曲」作品59の1 モーツァルト「ピアノ協奏曲変ホ長調]K271 ラヴェル「ヴァイオリン・ソナタ」 ベルク「ヴァイオリン協奏曲」 U 「トリスタンとイゾルデ」序説 「フィガロの結構」の劇形式 |
1979年2月20日 (第11回配本1979年2月)2800円 |
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12 | カイエ・ドゥ・クリティクT | T 時事的発言(1964〜1969) U 音楽会批評(1975〜1978) V カイエ・ド・クリティク 音楽批評とは バロック音楽をめぐって Die Klassik と die Romantik ベートーヴェンのスケッチブックシントラーのこと ベートーヴェンの手紙 二つの道−広瀬と武満 三善晃−応挙、江漢 記憶と音楽−レコード私観 NHKの新ホールをめぐって 批評・レコード・マネージャー 東京の秋とベルリンの秋 ベルリンの芸術祭の収穫 ドイツ・きのう・きょう 民主主義とピカソ プレヒト生誕70年 プラハの春 報道の自由について ヴィーン−音楽の旅 東京交響楽団の解散の報道に接して 日生劇場音楽シリーズ十年 W 書評 |
1979年4月20日 (第12回配本1979年4月)2800円 |
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13 | 音楽家のこと | T 私が音楽できいているもの−モーツァルトの場合 チャイコフスキー ショパンに関する覚え書 その1 その2 U ミュンシュ ヨッフム チェリビダッケ カラヤン ショルティ マゼール ラフマニノフ シュナーベル フィッシャー ギーゼキング ハスキル ゼルキン リヒテル リパッティ ベネディッティ=ミケランジェリ フランソワ ベルマン ブレンデル グールド アシュケナージ ドレフェス ズーカーマンとバレンボイム シェリングとヴァルヒャ シェリングとヘブラー カザルス シュタルケル シュライヤー シュトライヒとスゼー ヘフリガー |
1979年6月22日 (第13回配本1979年6月)2800円 |
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14 | ディスクの楽しみ | T 今月きいたレコード U レコード、わが友、わが・・・ |
1986年10月20日 (第14回配本1986年10月)3500円 |
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15 | カイエ・ドゥ・クリティクU | T 自伝抄 U 響きと鏡 V 音楽の光と翳 W LPとカセット CDの楽しみヴィデオ・ディスク体験記 オペラの映像化 テレビ雑感 松食い虫 時の流れによせて私と音楽 ”声”が人生の真実を照らし出すとき 「変な夢」−一つのファルス X グレン・グールドとは何か 教養としての音楽 芸術と人生 |
1986年11月20日 (第15回配本1986年11月)3500円 |
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16 | 芸術随想 | T 音楽の旅・絵の旅 プロローグ フランクフルト 「かくて、ついにバイロイトに」 ナショナル・ギャラリーにて ヴァーグナーのトポロジー 「指輪」のアクチュアリティ グリューネヴァルト体験 ベルリンにて ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン エピローグ U ベラスケス−あらゆる画家のなかの画家 セザンヌ 彫刻家ドガ カンディンスキーの絵 光琳とレンブラント 芸術が芸術を生むということについて 池田満寿夫について 遠近法考 絵、遠くで見たり近くで見たり 青について V 音楽のきこえる絵十選 マチス「赤い部屋」 フリードリヒ「帆船の上で」 上ライン地方の画匠「天国の庭」 フェルメール「台所の女中さん」 ドゥガ「ゴージュラン夫人の手」、同「デュプール嬢の手」 カンディンスキー「バラ色の詣調」 クレー「小さな樅の木」 ルノワール「ブージヴァルの踊り」 ヤン・ファン・アイク「聖堂のなかの聖母」 ヴァトー「ジュルサン画廊の看板」 セザンヌ「パイプの男」 ゴッホ「ひまわり」 セザンヌ「りんごと瓶と椅子の背もたれのある静物」 W 芸術のもとにあるもの 音楽とは ルソーの絵 マネの「オランピア」 マネの絵 マネとドゥガ 音と言葉 音の影 音の空間 三つの聴衆 日本の聴衆、もう一つの面 用語の定義 「前衛芸術」の変質 音楽を語る資格−モーツァルトのオペラをめぐって 散策・芸術の秋 X 私の推薦盤(1975〜1985) |
1986年12月20日 (第16回配本1986年12月)3500円 |
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17 | 調和の幻想・トゥールーズ=ロートレック | T 調和の幻想 紫禁城と天壇 露地と長恨歌 対句とアシンメトリー 宗達とドゥガ 《源氏物語絵巻》へ パースペクティブをめぐって 春草とホードラー マネとドゥガ−影響とは何か 《オランピア》・ヴィーナス・富士 ドゥガと北斎 北斎 U トゥールーズ=ロートレック プロローグ トゥールーズ=ロートレック ロートレックとドゥガ ドゥガ−プサンとアングルからの影響 「ヴィーナスの思想」 覗く、観る、描く ロートレックと浮世絵 《ムーラン・ルージュ》 ヴィーナスの「終末」 |
2001年12月30日 | |
18 | セザンヌ | T セザンヌ物語 終わりにあたってのはしがき まずゴーギャンに寄って ゴーギャンとドゥガ ゴーギャンからセザンヌへ ドラクロワとゴッホ セザンヌにおける「線」 セザンヌとパースペクティヴ ピサロのそばで 風のなかで 新しい「風景画」の誕生 写真の光景と「風景画」 「深さ」を色彩で セザンヌの静物画 《ジェフロワの肖像》とりんご りんご 《シャトー・ノワール》と《サント・ヴィクトワール》 人物画 《水浴する女たち》 U セザンヌは何を描いたか マネの肖像 マネが描きたかったこと マネの女性像 色のコンポジション 遊びの精神 アウグスト・マッケの絵 |
2002年4月10日 | |
19 | 音楽の時間T | T 今月の一枚(1985/4(No26)〜1987/12(No55)) U 音楽展望(1975.6.23〜1981.12.18) V 音楽会批評(1979.2.17〜1981.12.23) |
2002年7月5日 | |
20 | 音楽の時間U | T 今月の一枚(1988/1(No56)〜1990/12(No87)) U 音楽展望(1982.1.19〜1987.12.17) V 音楽会批評(1982.1.27〜1986.12.13) |
2002年9月23日 | |
21 | 音楽の時間V | T 今月の一枚(1991/1(No88)〜1993/12(No120)) U 音楽展望(1988.1.21〜1993.12.25) V 音楽会批評(1987.1.21〜1992.12.24) |
2002年12月30日 | |
22 | 音楽の時間W | T 今月の一枚(1994/1(No121)〜1997/12(No166)) U 音楽展望(1994.1.19〜1997.12.16) V 音楽会批評(1993.2.1〜1997.12.17) |
2003年3月30日 | |
23 | 音楽の時間X | T 今月の一枚(1998/1(No167)〜2000/11(No200)) U 音楽展望(1998.1.22〜2003.11.18) V 音楽会批評(1998.2.4〜2001.11.7) |
2004年10月30日 | |
24 | ディスク再説 | T ディスク U テンポのとり方 偶感 ベートーヴェンの楽譜とセザンヌの絵 絵と音楽のマティエール マネ展とエクス=アン=プロヴァンス クレーの晩年 セザンヌの空 セザンヌ《レ・スールの池、オスニー》について V Quasi una fantasia 逝ける刻のために 時の流れの中で 友情の手紙 祖国と音楽家 Memento Mori 物には決まったよさはなく・・・・・・ ぼくのマドンナ 冬の朝 悼む歌 An Barbara W 対談 芸術と政治/丸山真男 X 水戸芸術館開館記念式典、式辞 佐川一信さんをしのんで |
2004年12月5日 |
iwalin@n02.itscom.net 更新日 2012/6/3 |