ホルンアンサンブルの作品は数多くありますが、作曲者に関する情報は意外とありません。
作曲者を知れば、演奏に役立つこともあるでしょう。音源も併せて紹介します。
ホルンアンサンブルは、実にさまざまな人々が作曲しています。しかし、作品には接することは多くても、作曲者がどのような人物であったのかを知ることは意外と難しいのが現状です。そこで、本項では有名なホルンアンサンブルを作曲した音楽家について、生い立ちなどを紹介していきます。
実際に聴きたいと思っても探すのは手間なので、Amazonのプログラムを使ってオススメ音源も併せて紹介していこうと思います。紹介している音源は、基本的に全て私が所有しているものです。
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参考:Antonín Rejcha (Wikipedia.cz)
ナチュラルホルン演奏の草分け的存在であったヘルマン・バウマンの弟子達による演奏です。ライヒャのホルン三重奏を1枚のCDで全て聴けるものは少なく、演奏のレベルもなかなか高いので、オススメです。特に、低音ホルンの演奏がとても難しいのが分かると思います。
マルティン・ヨゼフ・メンガルは、ベルギーのホルン奏者にして作曲家です。後述するヤン・バティスト・メンガルの兄に当たります。
参考:Martin Joseph Mengal (Wikipedia.de)
参考:Reference List of Solo Horn repertoire by Belgian Composers(PDF)
参考:Balthazar Ensemble
M.J.メンガルの大八重奏は、たまたまこのCDを買って知ったのですが、とても面白く良い曲で、私は大好きになりました。編成はホルン八重奏ですが、本来の編成はホルン6人+トロンボーン2人です。このCDでも3種類の管の長さのナチュラルホルンと古典トロンボーン(サックバットではない)2本で録音しています。
ヤン・バティスト・メンガルは、ベルギーのホルン奏者にして作曲家です。前述したマルティン・ヨゼフ・メンガルの弟に当たります。いくつかのソロ曲やモーツァルトやハイドンなどの曲をテーマにした木管アンサンブル、弦楽器とのアンサンブル、ホルン四重奏を作曲しています。
カール・エストライヒは、ドイツ東部のシュプレムベルクで生まれました。エストライヒは当初ザクセンで学び、最初にザクセン王立歌劇場にホルン奏者として入団し、ドイツ国内の演奏旅行を行ったのち、1826年よりフランクフルト・オペラに移籍しました。
エストライヒはホルンのための多数の作品(ソロやアンサンブル)を作曲したほか、ピアノ曲、吹奏楽器のための曲、声楽曲、オペラを作曲しました。それらの中から、ボンのジムロック社からは「12のホルン三重奏曲」および「フルートとオーケストラのためのポロネーゼ」が出版されています。
エストライヒの生まれた月は定かではありませんが、彼は32歳の時に体調を崩して同団を退団し、1840年3月7日に40歳でフランクフルトに没しました。
Quartet for Horns in F (about 20min.)
1.Tempo di Choral e sempre portemento
2.Allegretto
3.Rondo. Presto scherzando
4.Presto assai
5.Andante maestoso
6.Thema mit Variationen. Allegro scherzando
Trios for Horns in E (about 9min.)
1.Largo
2.Andante
3.Fantasie. Adagio
Quartet for Horns in E (about 15min.)
1.Adagio sostenuto
2.Presto
3.Marsch
4.Largo
5.Polacca
Trios for Horns in F (about 13min.)
1.Andante
2.Moderato
3.Tempo di Marciale.Maestoso
4.Presto
5.Adagio sostenuto
6.Allegretto
エストライヒの作品はナチュラルホルンのために書かれたもので、美しい旋律が特徴です。音域は全体的に高めで、4thでもそれほど低音は使いません。反面、1stは比較的に高めの音域を吹き続ける曲が多いようです。演奏に当たっては、モダンの楽器で力技で吹くのではなく、控えめに細く明るい美しい音色を目指すと、美しく響くと思います。
ライヒャの三重奏と同じく、ヘルマン・バウマンの弟子達によるナチュラルホルンの演奏です。ライヒャの時よりもまとまりが感じられて、とても良い演奏に思えます。他にエストライヒの録音は無いようなので、ぜひ一度聴いて欲しい録音です。
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C.ホミリウスは1813年10月にドイツのザクセン州で生まれました。彼はドレスデンの軍楽隊のホルン奏者となった後にサンクト・ペテルブルクに移り、そこでロシア帝国歌劇場(マリインスキー劇場)の主席ホルン奏者となりました。なおゴットフリード・アウグスト・ホミリウス(1714〜1785年、ドイツの作曲家・オルガニスト)は別人です。
C.ホミリウスは主席ホルン奏者を引退する前からサンクトペテルブルグ音楽院で教師を務め、また同地の音楽協会で協会長をも務めていました。彼はそこでバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)から多くの学生を採用しており、特にそれらの生徒の中で、ヤン・タム(Jan Tamm 1874〜1933年。ブヤノフスキーの父を教えた)など、重要な人物がホミリウスの元で育ち、後世に指導者として名を残しています。
Quartett Op.38 B-Dur (about 12min.)
1.Alla marcia
2.Andante
3.Presto
ホミリウスのホルン四重奏はホルン四重奏の中でも良く知られています。音域は低すぎず高すぎず、比較的演奏しやすい曲です。1stから4thまで美しく楽しめます。
参考:Homilius (hornplayer.net Information archive)
参考:ロシア派ホルンの系譜
ホミリウスの四重奏はいくつかの録音が入手可能です。まずデトモルト・ホルンカルテットによる録音。次にブダペスト祝祭管のホルンパートによる録音。3つ目がウィーン・ホルンアンサンブルによる録音。どれも良いんですが、個人的に一番好きなのはデトモルト・ホルンカルテットの録音です。ヘルマン・ユーリッセンもこの録音で吹いています。
ヴォタヴァは交響曲で有名なA.ブルックナーの下で学び、ヴィーンで活躍した作曲家です。ウィーンヴァルトホルン協会の音楽監督を務めました。
ヴォタヴァはホルンの響きを生かした重厚なホルンアンサンブルをいくつか作曲しています。日本でもよく演奏されているのが「祝典ファンファーレ」です。祝典ファンファーレは元々7声のために書かれたものをホルン五重奏にアレンジしたものです。このほか、五重奏組曲(祝典ファンファーレを含む)を作曲しており、古典的ながら一ひねりある楽譜になっています。
ニコライ・ニコライエヴィチ・チェレプニンは、旧ソ連の指揮者・作曲家です。サンクトペテルブルク音楽院でリムスキー・コルサコフに師事し、自らも教師としてプロコフィエフなどを育てました。チェレプニンのホルン四重奏は1910年に作曲された作品で、次の6曲から成ります。
1.Nocturne
2.Ancienne chanson allemande
3.La chasse
4.Choeur danse
5.Un chant populaire russe
6.Un Choral
ハイトーンからロウトーンまで非常に幅広い音域をたっぷり使った美しい曲ばかりです。演奏の難易度は楽譜から受ける印象よりも遥かに高く、美しい音色とハーモニー、スタミナが要求されます。聴かせる演奏に仕上げるにはとても大変です。しかし、非常に良い曲であり、ホルン吹き必携と言っても良い名曲です。
チェレプニンは、ロシア革命後の1921年に息子のアレクサンドル (1899-1977)と共にパリに亡命しています。アレクサンドルもまた、父の後を継いで作曲家やピアニストとして活躍しました。一部の資料では、ホルン四重奏の作曲者をアレクサンドルとするものもありますが、正しくは父のニコライによる作曲であるようです。ちなみに、アレクサンドルは日本にもよく訪れており、チェレプニン賞を設立するなど、日本の音楽振興のために大いに貢献したことが知られています。
ヨーゼフ・シャントルはオーストリア・グラーツのホルン奏者一家の元に生まれました。 シャントルのホルン奏者としての人生は、ウィーンのヨハン・シュトラウス・カペレに始まります。しかしヨハン・シュトラウス・カペレの練習はあまりに多かったため、彼はカペレを離れます。後に、今度はウィーン帝立・王立宮廷歌劇場(現在のウィーン国立歌劇場・ウィーンフィル)のホルン奏者となってからすぐにソロ・ホルンの座に付き、引退するまでシャントルはその座にいました。
アントン・ヴンデラーは、オーストリアのホルン奏者にして作曲家です。ウィー ンの有名なホルン奏者であったヨーゼフ・シャントル(1842-1902)が主催する ホルン四重奏団の初期メンバーの一人でした。ヴンデラーはシャントルのホルン 四重奏団のために、マーチやワルツ、ポルカなど300以上の優れた作品を作曲 し、「ホルン四重奏のヨハン・シュトラウス」とまで呼ばれたといいます。また、ヴンデラーはホルン奏者や作曲者としての仕事のほかに、ウィーン王立オペラにおいて 指揮者や伴走者として活躍していました。
ヴィンツェンツ・ゴラーは、1873年にオーストリアのブリクセン近く、ザンクト・アンドレー(St. Andra)に生まれ、1953年にルンガウのザンクト・ミカエルに没した作曲家にして教会音楽家です。
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参考:Vinzenz Goller (Wikipedia.de)
参考:Vinzenz Goller (Club Osttirol)
参考:Vinzenz Goller (Der Kirchenchor St. Stephan)
マックス・ポッタークは、ライプツィヒ音楽院においてフリードリヒ・グンベルト(クルスペと共にドイツで初のダブル・ホルンを開発した)の元で学んだホルン奏者です。
ポッタークのソロ・ホルン奏者としての経歴は、ハンブルク交響楽団にて始まりました。1907年、ポッタークはアメリカ合衆国に移住し、シカゴ交響楽団において長い間ホルン奏者として勤めました。彼の在任期間は、2番奏者として37年間、3番奏者として3年間に渡ります。ポッタークはアメリカ合衆国で教師としても活躍し、いくつかのエチュードやホルンアンサンブルを残しました。
ポッタークは1969年に開催された第一回目の国際ホルンワークショップに出席しています。しかしポッタークはその翌年の1970年、国際ホルン協会が設立された年に亡くなり、現在は名誉会員となっています。彼の生前の姿は、国際ホルン協会の概要のページで見ることができます。
参考:Max P.Pottag (Wikipedia.org)
参考:国際ホルン協会(About the IHS)
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多くのホルン吹きが一度は吹いたことがあるであろう、「フリッパリーズ」シリーズの作曲者が、ローウェル・ショー、愛称は「スパイク」。ショーは1930年、アメリカ合衆国イリノイ州ジョリエットに生まれました。
ショーが小学校高学年(グレード6)の時、彼の父親がシカゴのライオン&ヒーリー(Lyon and Healy:現在はハープのメーカーとして知られるが、当時は総合楽器メーカーだった)からホルンをレンタルして持ち帰ってきました。ショーはそれまでピアノを数年間習っていましたが、ほとんどやる気がありませんでした。
彼がホルンを手にしてから数ヵ月後、小学校の教師はショーをトロンボーン奏者であるヤロスラフ・キメラの元へ送りました。ショーは最初はキメラの元で学び、後にシカゴ交響楽団のマックス・ポッタークの元で学びました。ショーは1951年にノースウェスタン大学で学士号を取得した後も、ポッタークの元で研究を進めました。ポッタークは大編成のホルンアンサンブルを重視していましたが、一方でショーは小編成のホルンアンサンブルのグループでも活動しており、そのために彼が編曲した作品は、現在もHornists' Nestのカタログに残っています。
大学を卒業したショーは米空軍バンドに4年間在籍した後、再びノースウェスタン大学に戻り、大学院で学び始めました。そこで彼はホルンの教師であったフィリップ・ファーカスの下でアムブシュアを変えることになります。1956年からショーは各地のオーケストラのオーディションを受け始め、最終的にバッファローフィルハーモニー管弦楽団の2番ホルン奏者の地位を獲得し、1994年まで在籍しました。またショーは1957年よりバッファロー大学で教鞭を取り、1964年には出版会社としてHornists' Nestを立ち上げています。
ショーの最も有名な作品が「フリッパリーズ」シリーズですが、もともとフリッパリーズ・シリーズは彼がバッファロー大学でホルンの生徒のエクササイズのために作曲したものだったのです。「フリッパリーズ」は四重奏ですが、そのほかにも「ビッパリーズ(二重奏)」「トリッパリーズ(三重奏)」「クイッパリーズ(五重奏)」などがあります。
参考:国際ホルン協会(Lowell Shaw )
参考:The Hornist Nest
フリッパリーズの録音は多くありません。最も手に入りやすいのはアメリカン・ホルン・カルテットのCDだと思います。また貴重な録音としては二重奏の録音があります。これはA.LewinterとL.Hammockの夫婦による録音です。ビッパリーズのほか、ギャレイやバッハ、モーツァルトなどの二重奏が収録されています。とても面白いのでオススメです。
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